
このブログでは、何も知らない普通の美容師が、東京で美容師を続けながら、なんとなく開いてしまった海外美容室で、
- 数々あった衝撃の出来事
- たくさんの失敗
- 海外美容室での日々の出来事
等を赤裸々に書いていきます。(ただ、あまりにも恥ずかしい内容は、割愛させて頂くかもしれません(-_-;))
個人の美容師さんや、ごく小規模の美容室さんが、今後海外へ美容院を出店する際に少しでも参考になれば。という気持ちと、
このブログを見た美容師さんが、うちの海外美容室のスタッフとして来てくれれば(笑)という、期待を込めて……
また、今でこそ中国語は問題なく話せますが、台湾美容室開店当初、まったく言葉が話せなかった僕が、どうやって基礎もままならない現地台湾人スタッフに教育をしたのか?
といった内容も機会があれば書いていきます。
- 2011年1月 台北市民生東路Relax hairオープン
- 2015年7月 アメリカラスベガス Salon Chandelierオープン
- 2016年6月 台北仁愛路A Relax hairオープン
- 2017年7月 東京恵比寿OPSIS kalonオープン
さて、前回のブログに書いたように、一度目のアメリカ美容室出店計画が失敗に終わり、
パワーを持て余していたころ、ふと思い立った上海進出。
偶然にも同じころ、東京の美容室で担当させて頂いていた別々の2名のお客様と、
昔腕を骨折して入院していた頃の、いわゆる『入院仲間』が揃って上海へ数年移住することなり、
これは上海へ行かねば!
とのことで、上海へ髪切り出張へ行くこととなりました。
前回の『編』の内容はこちらから↓
上海出張の下準備
2010年始めに、髪切り出張3か国目である上海へ行くこととなった。
今回は、まだ借りれる美容室が決まっていないため、2件のお宅の洗面所をお借りして、カットやカラーをさせてもらうこととなっていた。
この辺りの流れは問題なく、事前に各お客様とカウンセリングを済ませ、必要なカラー剤パーマ剤を用意して…
上海1回目は、その他今後のために、場所を貸してくれる美容院を見つける。という課題があった。
その頃はまだ、中国語はさっぱりわからなかったので、
当時流行っていた『ミクシィ』というSNSで、通訳者を探すことから始めた。
通訳者探しの投稿をしてみると、上海人の旦那様を持つ日本人の方が反応してくれ、
旦那様と二人で、貸してくれる美容院を探すための『通訳』をしてくれることとなった。
あとは、上海の日本人美容師さんの話も聞いてみたいと思い、同じくミクシィや、インターネットで探していたところ、
当時美容院のコンサルをされていた方とコンタクトが取れ、その方の知り合いの、上海美容室の日本人オーナ―を紹介して頂いた。
というわけで、上海一回目は
♦上海でお客様を増やしていけるよう、ヘアカット
♦上海で貸してくれる美容室を探す
♦上海で美容室を開いている日本人オーナーさんに会う
という予定を作り、現地へ向かうこととなった。
上海にて美容室探し
さて、今回のメインの目的『現地で貸してくれる美容室を探す』という部分
初日と2日目で、上海のお客様のご自宅でカットをするという部分は無事すませ、
3日目の朝に、『ミクシィ』で通訳を引き受けてくれたご夫妻と合流し、カフェで最終打ち合わせをしていた。
ちょうど、日本から長期移住となった、お客様2名、その他知り合いすべて、上海の【浦東】という地区にいたため、
インターネットで、【浦東】地区の綺麗そうな美容室を4,5件ピックアップしておいた。
今後も定期的に来るとしても、あくまでも日本の美容室がメインのため、上海滞在は短期。
航空券代、宿代を考えると、台湾と同じように、美容室のレンタル料はかなり抑えないと続かない。
あとは、短期のため、お客様が重なるのでアシスタントもお借りしないといけない。
その辺りのこちらの要望
『レンタル料はできるだけ低く』『アシスタントもお借りしたい』
という内容を、再度ご夫妻に伝え、最初の美容室に向かった。
到着した場所は5階建てくらいのビルで、1階~5階くらいまでほとんどすべて、パソコンや家電を取り扱う電化製品のデパートであった。
こんなところに美容室なんてあるの?
と思いながらエスカレーターで3階へつくと、目の前に、60坪くらいだろうか?比較的大きな美容室があった。
ちょうど、全面改装した直後だったようで、その日は店内は営業しておらず、最終工事のようなことをやっていた。
幸いスタッフはいたので、通訳の方に代表の方と話をしたいと伝えてもらうと、
ロン毛の優しそうで雰囲気のある男性の方が話を聞いてくれた。
(怖そうな人でなくて良かった…(*’▽’))とほっとして、通訳の方に話を進めてもらった。
僕の要望するレンタル料は、通常では考えられないような低料金だったので、
その優しそうな顔が、少しづつ、こわ張って見えたが、続けて僕が行くことでのお店のメリットを伝えてもらった。
「短期間ですが、お客様も沢山連れてくるし、なにより日本の美容技術が見れます。興味を持ったらお店のスタッフさん向けに講習とかも開催できます!」
果たしてそれをメリットに感じてくれたのかはわからないが、こちらの要望をすべて飲んでくれるとのことだった。
「とりあえず、元々他の美容室にも聞いてみる予定だったので、この後何軒か美容室に行って、最終的にお願いする場合は、また後で連絡させてもらいます。」
といったわがままにも、素敵なオーナーさんは笑顔でうなずいてくれた。
お昼近くになっていたので、まずは昼食を取ろうということになったが、一軒目の美容室ですでにOKを頂き、
すっかり緊張がほぐれ、昼食は、今日のミッションは終了したかのような祝勝会モードになっていた。
僕がそんな『ゆるんだ雰囲気』だったのもあるかもしれないが、午後に行った数軒の美容室では、結局上手く話がまとまらず、
最終的に、最初のお店に連絡を入れ、次回からよろしくお願いします!と伝えていた。
こうして、通訳のご夫妻のおかげで、今後の上海での『プチ美容室』の場所が決まった。
台湾で美容室を開こう!と思うきっかけの人に会う
その日の夜は上海最後の夜で、紹介して頂いた、上海で美容室を開いているという日本人オーナーさんと待ち合わせをしていた。
指定された場所は上海の『ホテルオークラ』。
その方はそのホテル内に【IDEA】さんという美容室を開いていた。
ホテルオークラに美容室なんて、店開くのに一体いくらかかるの!?めちゃくちゃ怖そうな人だったらどうしよう…( ;∀;)
とドキドキしていたが、待ち合わせに現れたオーナーさんは、オーラはあるものの、人当たりの良さそうな柔らかい雰囲気の男性で安心した。
話を聞くと、オークラ以外にも同じブランドの美容室を開いていて、さらには他にも携わっている美容室が上海や日本に何軒かあるとのことだった。
当時30歳を過ぎたばかりの僕と同い年位の方であったが、すでに海外で手広く展開されていて、衝撃を受けた。
【左治木 雄三(さじき ゆうぞう)】さんという方で、今現在は居住を日本に移し、美容室業以外にも、美容師専門のファイナンシャルプランナーや、アジア中の美容師・エステシャン50万人をつなぐソーシャルネットワークを目指し【air chair】さんという会社を立ちあげているそうだ。
ホテルオークラをでて、食事予定のお店にタクシーで向かう途中、左治木さんは、流ちょうな中国語で運転手さんに道を説明していて、
当時中国語がほとんど話せなった僕は、(話せるようになったらカッコイイな…)と少しだけ勉強しようかという気持ちになっていた。
当時は、今考えるとあり得ないくらいの酒の量を普段から飲んでいて、その日も二人で大量のお酒を飲んで上海の話を色々聞かせて頂いた。
同い年位の美容師さんで、将来のこともしっかり見据えて、こんなに成功している方には会ったことがなかったので、左治木さんの話は刺激的でとても貴重なものとなった。
自分のビジョンをはっきりと『言語化』していて、当時まだ『なんとなく』の部分が多かった僕とは大きく違っていた。
実は上海に行き始めたもう一つの理由として、前回ブログで書いたように、『アメリカ美容室』オープンの一度目のトライが失敗に終わり、
なんとなく「どこかで美容室を開きたいかも」という気持ちになっていて、上海は日本からも近いしイイかも!
といった考えがあった。
台湾は、楽しみながら息抜きとして出張を継続したい。といった『ゆるい考え』があったのと、
多くの国に行ってみたい!という漠然とした気持ちがあったので、
元々行っていた台湾ではなく、他の国でトライしてみたい。という何とも行き当たりばったりな考えだった。
調べてみると上海の家賃が僕にとっては『バカ高かった』のもあるが、
この時の左治木さんの話によって、大きな刺激を受けていた僕は、日本に帰ってから『今後どうするか?』を今一度考え、
最終的には、美容室オープンの候補に、元々行っていた『台湾』を選び、
次回の台湾出張の際に、当時借りていた2軒の台北美容室のオーナーに、一緒に美容室をオープンしてみないか?という話をしてみることにした。
ちなみに、初めて行った上海は魅力的な街で、上海行きも継続しようとその時は考えていた。
台湾美容室オープン前の、あの最も衝撃的な出来事さえなければ…
その内容はまた次回のブログにて(^^
おまけ
冒頭で少し触れた、腕を骨折していた時の『入院仲間』が上海へと移住したという部分。
少しだけ当時の『入院時代』を振り返ってみます。
腕を骨折した理由も特殊だったので、そのうち書きますが、今回は骨折後の入院生活について少々。
今の時代は、腕の骨折程度であれば、手術をしてもおそらく2週間前後で退院となるかと思いますが、
当時は、ある意味『好きなだけ入院』出来たのです。
腕を骨折した僕が入院したのは『整形外科』
それぞれ、手術後のリハビリ等はありますが、特に僕が入院していたような大部屋にいる他の患者は基本皆『元気』でした。
手術が終わり、一か月が経過するような患者もいたりして、彼らは入院生活を楽しんでいました。
今の時代では病院側から追い出されてしまうであろう状況ですが、当時は仕組みが違ったのか、病院側からはっきりと『退院しなさい』と言われることもなく、同じ病室の患者には最長で入院生活2か月を超えているような、元気な患者もいました。
僕は骨折後、手術をしてもらえるまで、3日ほどあり、その間は腕を天井から吊るし、骨の位置を強制していたので、ベッドから一歩も動けなかったのですが、当時の僕の病室は多分今ある病院では、全く考えられないようなある意味『異様な空間』でした。
入院前日は酔っぱらっていて、『とある理由』で腕を折り(ケンカではありません(^^♪…)
そのまま深夜に入院。
そこからすぐに、腕に針金のようなものを通し天井から吊るす簡易手術。
という流れで、お酒を飲んでいたためか、麻酔も聞いている感じもなく、僕は深夜の大部屋にこだまするような絶叫をあげ、簡易手術された後、そのまま眠りに落ち、昼頃起きてみると当たり前ですが病室のベッドの上でした。
記憶はなくしてなかったので、前日の事を思い出しながら、今後どうしようか?と考えていると、
なんだか周りがとんでもなく騒がしいことに気づきます。
(ん?なにこれ?幼稚園のようなにぎやかさだけど…!?)
12人部屋の一番入り口付近の窓側にいた僕は、カーテンを閉め切っていて周りの様子がはっきりとは見えませんでした。
そもそもその時はまだ、12人部屋というのも知らないし、状況が全く分からない…
小学生の頃4人部屋に入院したことがあったけど、当然そこは静かな空間でした。
酔っぱらって腕を折った後のその病室は、『病院は静かなもの』という概念が全く当てはまらなかったのです。
前日一緒に飲んでいて、僕の骨折を知っている友人たちが、親よりも先に見舞いに来てくれました。
カーテンを開けてもらうと、車いすでウイリーの練習をしている高校生位の子がいたり、日曜ということもあり、見舞いの方も結構来ていて、僕と友人は、声を大きくして話をしないと会話が聞こえないような状態でした。
(まあいいか。シーンとしているよりは、ずっとましかな…(;’∀’)…)と思い手術前の3日間を過ごしていましたが、
腕を天井から吊るされていて、全く動けないのと、少なからず入院したショックと、当時、美容専門学校卒業まで間近で、その後美容室の就職も決まっていたので、果たして働けるのか?という諸々の不安もあり、気持ちが少し落ちていたので、
その時は、他の入院患者の方と仲良くする気持ちになれず、基本カーテンは閉めて、お見舞いに来てくれる知り合い以外とは、顔を合わせないようにしていました。
そんな状況で、手術を迎えることとなりましたが、手術前日にはその入院患者たちにとうとう【殺意】を覚えることになります(笑)
複雑に近い腕の骨折。心臓に近いということで、僕は全身麻酔で手術することになっていました。
前日は睡眠薬を出され、手術に向けて沢山寝るように担当のドクターから伝えられました。
ちょうど僕のベッドの頭の方向には壁があり、壁一枚挟んだ向こう側には『談話室』という喫煙OKの部屋がありました。
元気のよい同部屋の患者さんたちは、夜はそこに集まって話すのが日課だったようです。
睡眠薬を飲んで寝ようとするものの、楽しそうな会話が聞こえてきて眠れない…
その日は特に盛り上がっていたらしく、眠りにつきそうになるたびに、談話室からの『大爆笑』で起きてしまう…
そんなこんながずっと続き、彼らがようやく解散して静かになったころ、時計を見ると『午前5時すぎ…』
(あ、あいつら………俺明日手術だよ……(‘ω’)……)と思いながら、すっかり『殺気立っていた』僕は目がさえてしまっていて、静かになった後も眠れない…
結局一睡もできないまま朝を迎え、看護師さんがやってきました。まもなく予定時間なので、手術室へ移動するということでした。
手術室へ向かうベッドへ乗せられ、いざ手術室へ向かおうとすると、一人のおじさんが「がんばってね!」と声をかけてくれました。
「ありがとうございます」とは答えたものの、とても聞き覚えのある声で、思い出してみると…
談話室で、最も会話をリードして、もっとも声の大きかった『あの悪魔の大声』の主でした…
(くそぉ…ありがとうなんて言わなきゃよかった…(*’▽’)…)とか思いながら、手術室へ向かいました。
向かう前に『麻酔の事前注射』なるものを打たれていて、前日寝ていない僕は、それだけで少しうとうとしていました。
手術室へ到着してすこしすると、いつも白衣のシャツのボタンを全開にして、色黒で遊んでそうで、でもなんとなく安心できる担当の先生が、その日は手術用できっちりとした服装で入ってきました。
看護師さんらしき人に合図をすると、『織田裕二』の歌が流れ始めます…その先生が好きだったようです…
なんだか、手術とはいえこれでようやく眠れると思うと、手術の不安は全くなくなり、眠れることへの期待感が大きく、
前日夜の『入院患者たちへの殺意』も消え、すっかり穏やかな気持ちになっていた僕は、麻酔前にすでに眠りに落ちていていました…
結局のところ、前日騒いでくれた患者さんたちのおかげで、意識が彼らへの殺意だけになり、手術への不安はなくなっていた気がします…。
手術が終わってから、3日間一歩も動けなかった状態からも解放されたことで、もろもろの不安もなくなり、『郷に入れば郷に従え』という言葉を思い出し、
殺意を覚えた彼らと、仲良くしようと挨拶にまわりました。
彼らは一体どんな話で、毎日のように盛り上がってるんだろう?その輪に入りたい!という気持ちになっていました。
最終的に、入院生活はとても色濃く、高校や専門学校以上に楽しい生活となりましたが、
色々あり過ぎて話が長くなってしまうのと、ブログの本題とだいぶそれてしまうので
そちらばまた次回以降に機会があれば書いてみます。
ちなみに『悪魔の大声』のおじさんとも、すっかり仲良くなりました。
いずれにしても、海外への美容室オープン前後や、その他の生活でも、ちょっとした転機でかけがえのない出会いがあり、
当時を振り返っていると、それら全てに支えられきたことに、改めて気づかされます(^^♪
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