
このブログでは、何も知らない普通の美容師が、東京で美容師を続けながら、なんとなく開いてしまった海外美容室で、
- 数々あった衝撃の出来事
- たくさんの失敗
- 海外美容室での日々の出来事
等を赤裸々に書いていきます。(ただ、あまりにも恥ずかしい内容は、割愛させて頂くかもしれません(-_-;))
個人の美容師さんや、ごく小規模の美容室さんが、今後海外へ美容院を出店する際に少しでも参考になれば。という気持ちと、
このブログを見た美容師さんが、うちの海外美容室のスタッフとして来てくれれば(笑)という、期待を込めて……
また、今でこそ中国語は問題なく話せますが、台湾美容室開店当初、まったく言葉が話せなかった僕が、どうやって基礎もままならない現地台湾人スタッフに教育をしたのか?
といった内容も機会があれば書いていきます。
- 2011年1月 台北市民生東路Relax hairオープン
- 2015年7月 アメリカラスベガス Salon Chandelierオープン
- 2016年6月 台北仁愛路A Relax hairオープン
- 2017年7月 東京恵比寿OPSIS kalonオープン
さて、前回に引き続き、アメリカ視察編です。
前回の内容で、夫婦そろって別々に、ラスベガスのクラブから追い出された後、
完全に酔っぱらっていたまま、宿泊させてもらっていた『セレブ邸』にもどり、
そのすぐ後には、まだお会いしたことのない方が、ヘアカットをしに来ます。
はたしてこんな状態でカットが出来るものなのか…
前回の『アメリカ視察編part.1』の内容はこちらから↓
人生で最も大変だった?ヘアカット
ラスベガスのクラブから酔っぱらってつまみ出された後、
別口でつまみ出されていた妻と合流し、
その後『ネバダ観光』の皆さんと合流して、
最終的に宿泊させて頂いてた、セレブ邸に戻ったのが、午前5時過ぎ。
シャワーを浴び、死んだように眠りにつけたのは午前6時くらいだったと思う。
予定では、昨年お世話になった『ネバダ観光のShin君』の未来の奥様が、そのすぐ後の午前8時にヘアカットにやってくる。
その未来の奥様のSさんとは、その時僕はまだ、一度も面識がなかった。
(8時にカットに来てくれる方、遅れて来てくれないかな…いや、なんならキャンセルしてくれないかな…)
とか最低なことを考えながら、眠りについた後、
玄関のチャイムで目が覚める。
時間を確認するときっかり午前8時。
(まじか、本当に来ちゃったよ…)
目が覚めると、とてつもなく気持ち悪い…
完全な二日酔い…というかまだ酔っぱらってる…
とりあえず横で寝ていた妻を起こし、
「悪いんだけど、ドア開けて、Sさんを中に入れてあげてもらえるかな…」
と同じく気持ち悪そうな妻にお願いし、その1,2分でも睡眠をとろうと、しばしの2度寝をする。
あっという間に、妻は僕からの依頼を済ませ、僕を起こした後眠りについていた。
酔っていたのもあり、なんとか妻と入れ替わりたいと考えたのだが、少しでも考え事をすると眠りに落ちてしまいそうだったので、あきらめて、ヘアカットへと向かった。
とりあえず、初めて会う方なので、酔ってることはバレないようにしよう。と必死に普通を装う。
泊まっているセレブ邸は、社員寮でもり、社長のカズさんも住んでいたので、
カズさんが起きてフォローしてくれれば、何とかなるかも…と祈ってみるが、起きてこない…
他の社員さんも…誰も起きてこない…
その空間には、日本人にカットしてもらえることを、とても楽しみにしていたであろうSさんと、僕の二人だけだった。
今後ラスベガスに美容室を開こうと考えている日本人美容師として、Sさんの気持ちを絶対に裏切るわけにはいかない。
そんな強い意志を持って、スタートした。
まずヘアスタイルの希望を聞いて…
こちらから言葉を発すると、気持ち悪くなってしまうので、なるべくしゃべらないようにして、
その分沢山うなずくようにする…
うなずくと、また気持ち悪くなる…
首を上下に振る動きも、なるべく少なくすることにした…
まずは希望を聞いたところで、
「ちょっと失礼します。少しお待ちくださいね。」
とトイレに駆け込む。トイレで涙も出しておくと少し楽になった。
戻ってカットを初めて5分くらいでまたトイレ。
それを繰り返し、なんとかカットを終了し、Sさんを送り出した。
何とか切り終えたことが嬉しくて、また涙が出そうになる。
酔っていると感情豊かになる。
この時のヘアカットは、車にひかれた次の日のヘアカットと並び、人生で最も大変だったヘアカットだと思う。
この時ヘアカットに来てくれたSさんは、後にネバダ観光さんの系列で『ラブストーン』という、日本の芸能人に人気のオシャレなパワーストーンを販売している会社で働くこととなり、
さらにもう少し後に、ラスベガス美容室『Chandelier』のオープンの際にも、沢山のヘルプをして頂くこととなる。
後に聞いたところ、本当なのか、気遣いで答えてくれたのかはわからないが、
当時僕が酔っていた事も気にならなかったそうで、色々感謝しかない。
ラスベガス視察その後の日程
無事に朝のヘアカットを終えた後、少し睡眠時間が取れ、
その後は二日酔いではあったが、朝に比べるとだいぶ楽な状態でヘアカットを進めていった。
ヘアカットが終了すると、
その日の夜からは、ラスベガス視察から、新婚旅行へと切り替え、『ウィン・ラスベガス』というホテルへと移動した。
結果としては、高級ホテルに慣れておらず、また部屋も馴染みのない高層階で、ほとんど眠れなかった。
寝ずに遊んでいたわけではなく、目をつぶっても寝付けないという、一番よくないパターンのものだった…
(無料で泊まらせてもらっていた、社員寮に戻りたい…)
とか思っていたが、嫁は喜んでいたようなので、泊まって良かったと自分に言い聞かせていた。
次の日からは、ネバダ観光さんのツアーにお世話になり、
『グランドキャニオンで夕陽を見る』ツアーに参加させてもらったり、や、シルクドソレイユのショーを見たりし、
あっという間に帰国となった。
せっかくなので、一応グランドキャニオンの写真を
ラスベガス美容室1度目の出店トライが失敗に終わる
ラスベガスに行った頃、美容室出店の前準備をスタートしたが、
結果としては、その時はビザが取得できずに、失敗に終わった。
ただその時は特に特別な感情はなく、また良いタイミングが来ればトライすればよい。と考えていた。
いや、確かカズさんがそんなことを言っていたような気がするので、
セレブの言うことにしたがっとけば間違えない。と思っていただけかもしれない…( ;∀;)
いずれにしても、アメリカへ美容室を出店するというパワーが、宙に浮いてしまい、代わりに何かをしたくなっていた。
そんな時、その頃働いていた、東京の美容室のお客様から、旦那様の仕事の都合で、上海へしばらく移住するという報告を受けた。
それも2人の別々のお客様が、同時期に同じような理由で上海へ移住するという偶然が重なっていた。
さらには、その少し前に、知人が上海へ仕事の関係で移住していた。
(これは、上海へ行けということ?)
台湾へ出張に行き始めてなんだかんだで2年ほどたっていたため、
日本からほど近いアジアであれば、普段の営業にそこまで支障なく行ける。という流れはできていたので、
お客様からそのような報告を頂いた後、ほどなくして、二人の方へ連絡を取っていた。
「上海へ髪を切りに行くので、自宅の場所をお借りして、周りの方も紹介して頂けないでしょうか?」
二人とも、上海へ行った後、髪を切る場所を心配していたので、このようなお願いはすぐに受け入れて頂けた。
そして、2010年初めに、髪切りツアーの3か国目の上海へと行くこととなった。
その内容は、次回の『上海編』にて書いて行きます。
まとめ
今回の、アメリカ美容室出店の失敗のように、
海外で何か行動を起こすときは、必ずと言ってよいほどハードルがありました。
ビザの問題だけでなく、文化の違いや、各国の法律の違いもあるため、
なかなかイメージしていた通りにならないことが、特に動き出し始めには何かしら起こっていました。
毎回何かしらのトラブルがある中、必ず解決策があると信じてやっていけたことで、
まず一店舗目の台湾美容室を2010年に開くことが出来たのかと思います。
当時はまだ、台湾へ出店している日系の美容室も少なく、
海外へ美容室を出店するといった内容の、インターネットでの情報もあまり多くなかった中、
諸々の問題を処理しながら、なんとかオープンできたのは、
自分の『あきらめの悪さ』『しつこさ』『打たれ強さ』があったからかもしれません。
女性からは嫌われそうなワードですが…(*’▽’)
いずれにしても、このような性格があったうえで、
当時全くなかったのは、一番大事な『経営の知識』であり、
『その国にある法律がどんなものか?』という重要な部分も、自分では知る術がありませんでしたが、
それを『共同経営』という形で、各国のパートナーにゆだねることで、足りない部分を補ってもらっていました。
ちなみに『共同経営』を強く勧めるわけではありませんが、台湾などでは一般的な形であるようです。
しっかりと相手を尊重し、足りない部分を補いあえる関係が上手く保てれば、個人的にはメリットがとても大きいと考えています。
共同経営をするかどうか迷ってる方にも、何かしら参考になる内容を書いて行ければと思います(^^♪
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